塾長プロフィール

塾長 夏期合宿にて

西村 基

略歴

灘中学校・灘高等学校 卒業
東京大学理科一類を経て
京都大学医学部へ再入学
医師として生きる道を選ばず
医師の卵を育成する道を選ぶ
講師としては全科目可能だが
現在は主に数学を担当

自己紹介

いまから遡ることおよそ20年。「ゲイジュツ」というものにただ漠然と憧れを抱く青年は、建築家を志した。芸大への進学を希望するも、周囲の強い反対から仕方なく東京大学へ入学する。しかし、それが良くなかった。かつて憧れた意匠建築というものを記号化して学ぶうち、次第に時代の限界のようなものを感じるようになった。芸術というものにもっと身体でぶつかっていれば違ったのかもしれないが、頭でっかちな青年が頭でっかちなアプローチをすれば、それは当然の帰結だった。そして、新しい価値の創造という意味において、青年は建築の意匠というものへの興味を次第に失っていった。

建築に限らずこれから社会が情報化する中で、知識が大切なことは言うまでもない。しかし、その前提の上で、最も大切なのは「データではなく人間だ!」精神的にもまだまだ未熟だった僕がそう強く叫んだのは、90年台後半。「人間」という実体からインフォメーションという得体のしれない「データ」へと時代が移りゆくインターネット黎明期、その時代の流れに逆らってのことだった。

「人間って何だ」 その問いは物心ついたときからずっと、今も昔も僕の心の中にある。その問いが僕を動かす。行き先を見失った青年は、意識的に様々な職業に身をやつし、上からではなく下から社会を見つめ続けた。 「データ」ではなく「人間」を見つめ続けた。プログラミングを学ぶのではなく人間の本質をとらえた古典的名作を読みふけった。そしてさらなる知的好奇心から京都大学医学部へ進学。医学というものの中に「問い」の答えを求めた。しかし、結局医学が僕の問いかけに答えてくれることはなかった。

自分の内ではなく、自分の外の誰か、外の何かに答えを求めるという行為自体が間違っていたのだが、当時の僕にはまだそれがわかっていなかった。とにかく、そうして様々な問題に直面する中、正直に告白すると、僕は人生の迷子になった。ただ、その苦悩と挫折の経験は確実に僕の人格に影響を与えたように思う。相手の気持ちを汲み取り忍耐強くすくい上げる、決め付けてしまわずじっくりと待ってみる、そういう能力は普通にエリートとして暮らしていては決して身につかないものだったとも思う。事実、上しか見ずに生きていた若かりし頃は、能力のない人間など切り捨てればよいかのように錯覚していたし、自分の能力も過信していた。その過ちに気づき、自分の持てる数少ない才能を社会に還元する手段として、本格的に予備校講師へ転身。

その後、たくさんの塾、予備校に出向し全科目を教えられる講師として経験を積んできた。中でも数学講師としては相応の手腕を発揮してきた自負がある。では、予備校講師としての自分の立ち位置はどこにあるのか。頭が良いことなのか。IQの高さなのか。まあ、予備校講師というレッテルを貼り付けて測れば、十分高いレベルのIQを持っているとは思う。でも、IQなんてものはただの数値的目安でしかないし、そんなものに何の価値もない。むしろ、ただIQだけを見るなら、僕を上回る人間など他にいくらでもいるだろう。繰り返すが、そんなことには何のこだわりもない。偏差値なんてものもただの数値的目安だし、どうでもいい。僕個人に限って言えば、数値化されるペーパーテストなど対策すればクリアできるのは当たり前なので、興味がない。頭が良いという予備校講師として何の自慢にもならない事実など捨て置こう。一人の人間としてぶつかってくる生徒には真正面からぶつかり返す。ぶつかってこない生徒にはどうすればより善く生きるヒントを与えることができるか模索する。その中で、生徒たちは、逆に僕に様々な気づきを与えくれる。その存在に、日々感謝の念を抱く。予備校講師として授業技術を洗練するための努力、もちろんそれは日々怠らないが、そこにとどまらず、常識に捉われない自由な発想で学習塾のあり方を模索する。今も模索しているが、とにかく模索してきた。自分の立ち位置はここだと思う。

常により良いものを求めて前進する。塾、予備校の先生なんて、その気になればいくらでも手抜きができるし、しんどい思いをしてわざわざ新しい方法を模索する人間なんてよっぽどの物好きだ。でも、何かが違うと感じたら、僕はそこを変えたいと思うし、そのために動こうと思う。そして、自らの理念実現のためには、やはり、どうしても新しい場所を作ることが必要であるという結論に至り、レアル大阪を創設することとなった。その後も研究を怠ることはなく、そして、見栄も体裁も恥も外聞も何もなく、ただただ真に受験生の助けになりたいという想いを一途にして、現在に至る。

「人間って何だ」 その問いは今も僕の心の中にある。